(はじめに)stand.fmで自作の詩を配信することについて、経験ベースの100%私見です。特定の団体、個人、思想を誹謗中傷したり貶める目的はありません。stand.fm(スタエフ)で経験したことで感じている見解であり、他SNS、アプリ、配信媒体、詩やポエム全体に関して言及したものではありません。
こんにちは、ここいまです。
前回のブログ記事
と今回の記事を併せてご覧いただくことをおすすめします。音声配信もたくさんの方に聞いていただけたので、ひとまず書いてよかった、と思っています。自分自身のアウトプット、思考の整理にもなりました。今回は前回に引き続き、「スタエフで」詩を配信することについての経験をベースにした私見です。
今回のテーマは「スタエフで」朗読フリーにしたことや、ポエムを書くことへの葛藤なんかを書きたいです。
(詩とポエムが混同していますが、私の中では同義で使っています。)
ポエムは誰にでも書ける
自分は文才がないから無理という人
「何か自己表現をしたいけど、自分は才能がないし、何も書くことがないし、無理だ。」と時たま耳や目にします。
すっごく、もったいないな!って思います。
私がポエム、というものを書き始めたのは中学生の頃ですが(ノートにちょこっと書く程度)初めてポエムを書いたのは小学生の頃のようです。小学生の時の文集にひとり一編の作品、全員分が掲載されていました。その文集を先日、見返したのですが…自分の作品の完成度、というか感性の低さにショックを受けました。
実は、自分は文章を書くことに才能があると(!!!)物心ついた時から思っていて、この作品を書くときも自分の作品は最高だ!と思って自信満々に書いたと予想できます。しかし、周りの友人の作品の方がよっぽどみずみずしい感性に溢れている、というか、純真無垢でむき出しの感情に溢れているというイメージを持ちました。
大好きだから、書ける
前置きが長くなりましたが、私にポエムを書く才能、というものが子どもの頃から備わっていたかと言えばそんなことはなく。
今でも才能があるとか、そんな風には思っていなくて。ただ、私に何かがあるとすれば、言葉で何かを表現することはとても大好きで、大好きだから長く続けてこれたのだ、ということです。
誰から評価されたことはないけど、自分から出てくる言葉が好きで、それを声に出して読んでみるのが好きで。書いたことを忘れて少し時間が経ってからタイムカプセルを開けた時のように「懐かしい!あの時こんな気持ちを持っていたよね。」としみじみすることが好き。
私は、文学を専攻で学んだことはありません。沢山の難しい言葉を知っている、というわけでもありません。また、語彙力も、物事を分かりやすく説明する力も元々備わっていなくて、日々反省と試行錯誤のくりかえしです。
ポエム、というものをどこで学んだかというと、学生時代の国語の時間と、やなせたかしさんのご著書です。
書くとは、毎日坐るということ
私の大好きで尊敬する小説家、宇野千代さんの著書『百歳ゆきゆきて』(2002世界文化社)の中で、「小説は誰にでも書ける」というメッセージを書かれていらっしゃるのですが、それを私は丸ごと信じ込んでいます。
小説を書くことの基本として書いても書かなくても、毎日机の前に坐る。そして日本語で許された最小限度の単純な言葉をもって、自分の五感に触れたことを正確に書く。
これを毎日続けることで「小説は誰にでも書ける」ようになるのだそうです。簡単なようで私はこれが一番難しいと思います。今の私の課題はこれです。
毎日続ける、ということ。
これは宇野千代さんに限らず、世の中に多大な功績を残されている方は皆さん口をそろえておっしゃいます。17歳の私は、ある有名な作曲家の先生に物を書き続けることへのアドバイスを受けました。それはやはり「書き続けること」でした。
当時はピンとこなかったんですよね。もっとこの本を読めとか、この分野を勉強しろ、ということを言われるんじゃないかって思っていたので。だけど…今、心が苦しくなるくらい実感しています。
本当に、毎日何かを続けるって、大変だよね!
ポエムを書くことの目的とかゴールって人それぞれで、何キロをどんな方法で走るか?っていう目標設定もちがうけど、これはおこがましながら自分の経験と、歴代の尊敬する方々、成功者のいうことを信じるなら。彼らのあまたある成功法則の一つを挙げるなら。
詩もきっと、誰にでも書ける。
文才ではなく、続ける力。続けた先に才能と呼ばれるものがついてくる。
ということだと思います。私はこのことを丸ごと信じて、書くことを続けていきます。
スタエフでポエムを配信することは、怖くない
上記で、ポエムを書くことは誰にでもできる、って話しました。書ける、といっただけで、評価されるとはまた別の話です。コンテスト等を検討されている方は、私はその内容については疎いです。
スタエフで、ポエムを朗読フリーにして3年目なので、この話ならできます。今からそれを話しますね。
怖くない、は嘘
スタエフで、オリジナルのポエムを配信することは、怖いか、怖くないか?答えはイエス、でありノーです。自分の五感をありのままに表現したものが、評価されるって怖い。評価されるのも怖いけど、誰の目や耳に触れられないのも、怖い。
怖い、っていうことは、一生懸命に書いたから、ひたむきに向き合ったからなんですよね。
勉強しないで、何かのテストを受けて、点数が低くても「勉強してなかったから仕方ないよね、てへっ」ってごまかせるけど、必死に勉強したり、点数が上がるように試行錯誤したのに点数が思わしくなかったら落ち込んじゃいますよね。
でも怖くないんだよ
怖いんだけど、ひとつの作品の評価、スタエフであれば再生数とか反応に一喜一憂せずに、淡々と積み上げていくと、なんとなく慣れてきます、いろんなことに。
そのうち、朗読したいって言ってくれる人が出て来たり、この作品のここが良かったとフィードバックを貰えると、とっても嬉しくて。自分にはどんなジャンルが合っているか、とか、いろいろ考えるようになります。配信のタイミング(時間帯とか曜日とか)やサムネイルを工夫して、自分の思う世界観を言葉だけでなく、画像や配信される時間のモチベーションに合わせてみたい、とかってやってると、もう夢中になってしまう。
そうなってくると、自分の五感をありのままに表現することは怖くなくなる気がします。それどころじゃない!って思う。
…だけど…人間てネガとポジを行ったり来たりする生き物なのか、突然、表現することが怖いと感じるんです。怖いよーと思いながら、配信して。次の日には憑き物が取れたようにケロッとして、また色々と考えて次の作品に取り掛かっている。
そんな風にしていたら、2年経ちました。
それでも怖いなら、設定設定
スタエフは優しい人が多い、ってよく色んなライブや配信で拝聴します。私もそう思います。でも、それだけじゃないよね。人間だから色んな感情が生まれるし、外の世界でも色々あるし、価値観の違いもあるし、まぁとにかくいろいろあって、あぁ。って感じることも起こります。
リアルの人間関係では使えないけど、使える魔法がスタエフにはあります。
スタエフ→マイページ→設定 (この記事で一番大事なとこ)
このページでレターの受け取り設定や、コメントの受け取りなどさまざまな設定ができます。別に、何かトラブルがなくても、自分の心の治安を保つために、心地よい設定ができるのが真の「スタエフは優しいインターネット」だと私は捉えています。
私は、いいね数とコメント欄を閉じているのですが、これも何か嫌なことがあったわけではなく、いいね数に関係なく配信を楽しんでもらいたいって気持ちと、
コメントのやり取り、とっても楽しいんだけど、いただいたらすぐに返信しなきゃ!と自分が焦っちゃうので、今は閉じてます。またいつか開放すると思います。
そんな感じで、自分の表現活動を長く、心地よく続けるために、スタエフの設定はかなり有効です。
スタエフで朗読フリーにすることのメリット、デメリット
最後に、スタエフで朗読フリーにすることのメリットとデメリットを話します。メリットとデメリット、というけどメリットを後に話した方が、読後感がよさそうなので、先にデメリットを話します。箇条書きにして詳細はスタエフで話しますね。インストールや視聴は無料なので、ぜひともチャンネル登録お願いします!
スタエフで朗読フリーにすることのデメリット
①コンテスト等に応募する場合、応募条件に「未発表の作品」と記載のことが多い。(この点に関してはわたし自身知識不足で疎いため、ご自身でお調べください。)
②評価される怖さ、あるいは誰の目や耳にも届かないかもしれない不安
③自分の意図に反した朗読をされる可能性、それを許容できるかどうか?
④想定外のトラブルへの対応
スタエフで朗読フリーにすることのメリット
①共感、いいね、聞いたよ、感想など、何でも反応がうれしい
②朗読配信を聞いたことで、新しい気づき、学びが生まれる
③自分では表現できなかった、あるいは思いつきもしなかった表現方法、演出、BGMなど作品の世界観が広がるのを実感する
④スタエフで、○○さんはポエム書いてる人だよねという個性が作れる
⑤ポエムを通じて発信したことがご縁をつなげることができる
⑥もし、もし、もし10000 スタエフを卒業することがあっても、スタエフでこれだけやってきた、という実績を持てる
⑦追記予定
まだまだかけそうなのですがここらへんで。
長い文章を読んでくださりありがとうございます。文字を追うより耳でながら聞きしたいって方はぜひ、スタエフのインストール、チャンネルの登録をお願いします。
今回、ブログにしたためたことは今日時点での私見です。これからまた経験を積み重ねていく中で意識のアップデートがあります。ゆえにこのことが正解でもなく、何かの解答でもない。私もここまでやってきて、こうすれば良かった、はたくさんあります。
この先、どうなるか?見守っていただけたら幸甚の至りです。
ここいま