―2020年2月ー
私の荷物を載せた引っ越し業者の車が、海の見える落ち着いた街に到着した。
2年前、この街を旅立つ時。たくさんのダンボールにハイヒールを詰め込んでいた。背の低い私はビジネスシーンにおいて、少しでも背が高く見えるように、事あるごとにハイヒールを購入していた。段ボールを開封すると、くたびれたハイヒールが新聞紙にくるまれて出てきた。
私にとってハイヒールを履くこと
私にとってハイヒールを履くことは、おしゃれのためでも、足を細く見せるためでもなくただひとつの目的のため。
その目的とは「少しでも存在感を出せるように」
ハイヒールを履いて、ジャケットを羽織る。そうすると心の中にある弱気な自分や、長いものに巻かれたい自分が隠れる。その代わりに、強気な自分、言いたいことを主張できるかっこいい自分が表に出てくる、そんな気がした。
生意気を言いますが、そう前置きして言いたいことを主張する。それがかっこいいことだと思っていた。女性管理職は男性が頑張る以上に頑張らなくてはいけない、2倍働いて、4倍賢くて、6倍勉強して、10倍お酒の席に参加しなければ、認められない。本気でそう思っていた。
本気でそう思って頑張っていたら、私に仕事を任せてくれる人が出てきた。それも頑張っていたら、憧れの部署に異動が叶った。私は命を削ってでも、この部署で自分の職責を全うする。本気でそう思っていた。
本気でそう思って頑張っていたので、私は自分の体の軽微な不調に気づくのが随分と遅れてしまった。気づいた後も、その不調に気づかないふりをした。胃の痛みはアルコールで消毒、心のモヤモヤは買い物で発散。頭痛は痛み止めをラムネを頬張るかのように、服用した。自分が憧れた仕事をするということは、このくらいしんどくないと全うできない。本気でそう思っていた。
いつの間にか私は、実物以上に自分を価値あるものに見せるために毎日ハイヒールを履き、足の痛みを我慢しながらオフィスを闊歩した。
ハイヒールだけでは足りなくなった
いつの間にか私は、そのハイヒールだけでは足りなくなって、竹馬を持ち出した。ハイヒールを履いて竹馬に乗る私。周囲からは随分と危なっかしく見えただろう。それでも私は実力も能力もスキルもない、ないものだらけの私はこのくらい虚勢を張らないと、周りから認められないと思っていた。
履き潰してヒールにたくさん傷がついている。ヒールはいつ溝にはまってぽきっと折れるか分からない。そして竹馬はとてももろく弱くて、こちらも今にも折れそうな代物。誰に頼まれたわけでもないのに、私はそうやって実力以上の自分を演じていた。
体からはサインが出ていた。今の状況は、危ないよ、落ちると痛いよ、ハイヒールを脱ぐか竹馬から降りるか。もしくはその両方を選びなさいと何度も体はサインを発していた。そのサインを無視した結果、私はハイヒールを履いたまま竹馬から降りる方法がわからなくなった。そうこうしているうちに、履いていたハイヒールは折れて、竹馬からも落ちた。
痛い目を見て泥だらけになった
泥だらけになった私は、憧れの仕事を続けることもできなくなった。泥だらけになったことを悲しいとも悔しいとも思えずに、無気力な日々をしばらく過ごすはめになった。竹馬から降りるか、ハイヒールを脱ぐか、またはその両方をもっと早いタイミングでしていれば。そもそもハイヒールを履くだけか、ぺったんこな靴で竹馬に乗るか、どちらかであれば泥だらけになることもなかったかもしれない。
でもその時は、ハイヒールを履かないと周囲から舐められてしまうと本気で思っていた。また竹馬に乗らないと、何もない私が綺麗なオフィスに出勤することも、難しい仕事を引き受けたりすることもできないと思っていた。
ハイヒールは、私の自信のなさを隠して少しでも価値ある人間に見せるための、武器。
竹馬は、分不相応な立場に運よく来てしまったことを隠し少しでも仕事ができるように見せるためのハリボテ。
中身は空っぽのハリボテの上に立ち、ハイヒールで存在感をかさ増しした私は、どんなに滑稽だっただろう。しかし、どんなに考えても、当時の私はハイヒールを履き、ハリボテの上からでないと、言いたいことの一つも言えなかった。相手の目を見て話すことも、緊張のあまりできなかった。そんな気がする。
私にとってハイヒールも竹馬も必要だった
人はいつだって、自分に最善の選択をする。結果は後にならないと分からない。幸せになると思って選択をする。当時の私の選択も、自分にとって最善だと思った。後悔はない。
海の見える街に届いた、ダンボールの中身は、新聞紙に包まれたくたびれたハイヒール。もう履くことはないかもしれないな、そうつぶやき、私はそれらを45ℓの袋に投げ入れた。
続