ハイヒールで竹馬に乗ったら降り方が分からなくなった

ハイヒールで竹馬に乗ったら降り方が分からなくなった⑨

ハイヒールで竹馬に乗ったら降り方が分からなくなった⑧

8回目の記事で書いたのだが、今回は「カーテン」という作品についてお話をしてみようと思う。

カーテン

精神的に落ち込んだ日々が続くと、太陽の光すら自分を責めているような感覚に陥ってしまう。希望の朝だ、なんて言うけれど、休職直後の私からすると、絶望の朝の始まりだった!そこで遮光カーテンを朝が来ても閉めたままで、1日過ごすこともままあることだった。

メンタル疾患を抱えた患者にとって、朝日を浴びるという行為は大変に重要な行為だ。体内時計がリセットされたり、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンが分泌されたりして心身ともに健康になれる。頭で分かっていても、カーテンを開けることができない。

朝が来たら活動をしなければいけないという焦り。

ベッドから起き上がることができない自分の弱さ。

仕事に行くことができない罪悪感。

休職直後の私は、夜がずっと続くといいなと思っていた。

 

少し体調が落ち着いてきて、近くのスーパーや薬局くらいなら気軽に行けるようになってきた頃。朝目覚めて、なんとなしにカーテンを開けてみた。意識して開けたのではなく、ただただ無意識にカーテンを開けてみた。

時刻は何時だったかわからないけれど、鳥のさえずりや、子供の声や、バイクの音が聞こえてきた。私はまだパジャマを着てボサボサの頭で部屋の中に立っているのに、みんな学校や仕事に行くんだな、みんな偉いな。素直にそう思った。

仕事に行けない自分は相変わらずダメなやつだと思ったけれど、朝日を浴びることは嫌ではなかった。それからも、朝起きてカーテンを何気なく開ける日もあれば、今日は絶対にカーテンを開けたくないそんな気持ちで真っ暗な部屋をウロウロする日もあった。

朝になるとカーテンを開けて、窓を開けて、朝日を浴びなければいけない。なんとなくそういうルールみたいなものがあると思っていた、漠然と。でも、べき思考にとらわれすぎてしんどかった私は、ある意味「不良」になろうと思った。朝になってもカーテンを開けたくなければ、その時は開けなくていいし、私が全て決めていいんだと。

なんて可愛い不良だろうか。

カーテンを開ける開けない、そんなことを真面目に考えるなんて普通の人はしないかもしれないけれど、きっとあの時の私は普通じゃなかった。だけど1つ1つ、当たり前にこれはやらなきゃいけない、これはやってはだめだ、無意識に考えたり行動していたことを見直して、自分の意志で全て決めるようにしようと思った。

人様に迷惑をかけたり、不快な思いをさせなければ、何をしたって何をしなくったっていいんじゃないのかな?そんなシンプルな答えに行き着いた私は、一人暗い部屋の中で、そうだそうだ!と感動していた。

朝になったらカーテンを開ける。それができないない人間はダメだ、なんて聞いたことがない。全て自分の思い込みだったり、良かれと思って親がしつけてくれたことだったり、テレビや新聞で目にした常識というもの。カーテンを開ける開けない問題がきっかけで、私はあらゆる「これが常識だから○○すべき問題」から解放された気がした。

長い間常識として自分が認識して生きてきたので、きっと今でも、これやりづらいなとか、しんどいなとか思っていても、これをするのが当たり前だからとやっていることが多くあるんだろう。そういったことにとっさに気づけて、自分は本当はどうしたいのか?考える癖をつけていきたい。ちょっとめんどくさいけど。

この積み重ねが、自分をいたわり、自分ファーストで自分を丁寧に扱い、知らず知らずのうちにたまるストレスの軽減になるのではないかと思っている。

あなたは明日の朝、カーテンを開けますか?開けないといけないと思っていますか?開けたいと思っていますか?どちらでもいいんですよ、あなたがしたいようにすればいいんです。

全ては自分の心が心地よいように、何もかも決めていけるそんな世界があったらいいのだけれど、実際は仕事だったり家庭だったり、何かしらの制約や人間関係のしがらみの中で生きているので、せめて自分の意志でコントロールできるところは、自分のやりたいようにやったらいいんじゃないかなと私は思います。

そんなメッセージと、過去の体験をポエムにしました。それが「カーテン」です。

ハイヒールで竹馬に乗ったら降り方がわからなくなった⑩

 

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