―今から先輩と遊ぶんだけど、終わってから、会う?
こんな曖昧なメッセージでも、美咲の鼓動は高鳴って目眩がしそうになった。
―そうなの?何時ぐらいから会えるかな?
汗ばむ手でメッセージを送信する。蝉の音も聞こえなくなった。
―18時ぐらい?伊勢丹前とか?
美咲はスマホを手に立ち上がって、クローゼットを思い切り、開けた。
宏樹とは、ホテルの中にあるビアホールのアルバイト仲間として、知り合った。
美咲は、何も教えないバイトリーダーに代わって、宏樹に仕事内容を丁寧に教えた。それだけでなく、大学に入学したてでひとり暮らしが初めての宏樹に、ご飯の炊き方、トイレットペーパーはどこに売っているのか、野菜の保存方法など、知らない、分からないと言われたことは手取り足取り教えた。
バイト仲間からは「お母さん」とからかわれたが、何もできない宏樹がほおっておけなかった。
宏樹は背が高く、そこら辺の芸能人よりも端正な顔立ちをしていた。そのことに宏樹自身は全く気づいていないようだった。バイト先では制服に着替えるとはいえ、宏樹は服装に気をかけるでもなく、よれよれのTシャツと短パンを着ていた。ママチャリにまたがり、長い足を窮屈そうにしながらふらふらといつも出勤していた。
美咲は、宏樹に何でもしてあげたかったが、それ以外にはなにも望んでいなかった。「宏樹にとって自分はお母さんのままでいい」と思っていた。
女性のお客様に電話番号を渡されて、キョトンとしている宏樹。ホテルの中でも噂になり、他のフロアから宏樹を見に女性スタッフがやってくる。
それをやっかむアルバイト仲間をなだめながら、美咲は「どうか宏樹が気づきませんように」と祈った。宏樹自身が自分の魅力に気づいた時。こんな古ぼけたバイト先にいるよりも、もっと、華やかな場所にいってしまうだろう。自分なんかが太刀打ちできないくらいにきれいな女性と遊んだりするんだろう。私の知らないことをたくさん知って、どんどん大人になってしまう。そうしたら、わたしは宏樹の「お母さん」でいられなくなる。宏樹の中でなんでもいいので、美咲は存在していたかった。
夏休みの真っただ中、ビアホールは大盛況だった。営業終了時間よりも大幅に遅れ、美咲と宏樹がタイムカードを押したのは、23時をまわっていた。
「美咲さん、送ります」
宏樹がママチャリにまたがりながら、ぼそっとつぶやいた。
「え、あ、いいのかな」
美咲は声が震えるのをおさえながら、何とか返した。
「もちろん。なんで?」
宏樹が美咲をまっすぐに見て、言った。
「送るんじゃなくてさ」
美咲は自分のどこから声が出ているのか分からなかった。ただ、声が勝手に出ていた。しかし、とめることはしなかった。
「送るんじゃなくてさ、一緒にいようよ」
宏樹は驚くでもなく、少し考えながら美咲を見て笑った。
「へえ、じゃ、そうしようか」
自転車を押しながら、美咲と宏樹は歩き出した。