音声配信stand.fmで多くの方に朗読をしていただいている作品「繊細なあなたとわたしへ贈る言葉」今回はこちらの作品について思いを馳せてみようと思う。
この作品は実際に休職中に書いたものではない。休職の後に退職をして、私は引っ越しをした。刺激的な街ではないが、自然とある程度の都会がミックスされていてとても住みやすい。ここで私はstand.fmに出会い、配信を始めた。
配信を始めてみるとたくさんの人に出会った。お話が上手な人、専門的な知識を持つ人、アプリ上でたくさんの人と交流をしている人…。過去にメンタルの体調不良を起こしたことがある、今現在も辛い状況と向き合っている、そんな人もいた。
リアルの社会では、自分以外にそういった人と出会わなかったので(リワークプログラムをのぞいては)意外と多いなあという印象を持った。
そしてその人たちの多くが、周りを尊重しすぎたりだとか周りの空気を読み過ぎたりだとか、自分のことは差し置いて他人に優しくする。そういった性格の人たちが多いようにも感じた。
周りの空気を読めるということは大事だとも思う一方で、顔の見えない音声のみのコミュニケーションの場では疲れることもあると思う。楽しく配信を続けているように見えて、配信がストップした人も多くいた。それは空気を読みすぎてしんどくなってしまったのか、何かトラブルが起こったのか、それとも音声配信以外に楽しいことができたからなのかはわからないけれど。
とにかく心のひだが多くて柔らかくて、繊細な人。そんな人のよりどころになっているようにも見える。
私はそんな優しい人たちと交流を続ける中で、また、自身が過去に感じた自分に対する思いなんかを言葉にしたいなと思った。
ある休みの日、ノートを広げて1行書いてみた。
『わたしの心はひだが多すぎて
見たくないものも見るし
聞かなくていい音も拾う
なのに落とした言葉を這いつくばって拾おうとするの
拾うそばから零れ落ちるのに』
書き出すとどんどん止まらなくなって、1時間ほどでこの作品は出来上がったように記憶している。ここいまポエムの作品の中では、長作である。私も朗読していて、何度も言い間違えてしまったり噛んでしまったりする。それでもこの詩は時々朗読したくなる。
空気を読みすぎてしんどい時、自分のことよりも周りの人に合わせようと必死になっている時、なんだか自分の周りの空気が圧縮されたような気持ちになって、体の動きが取りにくくなるようなそんな感覚。
何かを一生懸命にしていると、深呼吸を忘れて体がガチガチになる時がある。そんな気分の時にこの作品は朗読したい。朗読をする作品を選ぶ基準というのは、人それぞれだと思うが私は自分の今の気持ちを心地よくさせてくれるような、自分の今の気持ちを肯定してくれるような、そんな作品を選んで朗読する。なければ作る。
この作品はstand.fmで出会った優しくも心が繊細な人たちに向けて書いたもの。あなたは誰かに優しくしようとしなくても、今ここにいてくれるだけでありがたい存在なんだということを忘れないで欲しいなと思う。あなたの声で癒され、あなたのアイコンがこのアプリにいるだけで安心する。少なくとも私はそうだ。
だから、自分の心が苦しくなるまで人に優しくしなくてもいい。あなたはきっと存在そのものが優しくて癒しだから。
出会ってくれてありがとうという気持ちを込めて書きました。