アラフォー。バリキャリになるつもりがうつになりました

会社の休職中、何してた?「日記を書く。」

cocoimablog

こんにちは、ここいまです。

今日は、会社の休職中、何をして過ごしていたか?シリーズ「日記を書く」についてお話します。

 

この記事を書いた人

ここいま

バリキャリに憧れる仕事大好き人間だった筆者。仕事で自分を追い詰めた結果、心身の体調不良でドクターストップがかかりました。休職期間は1年以上に及び、大好きな会社を退職することに。5年弱の治療期間を経て寛解。現在は別の仕事をしながら「ことばで心は軽くなる」をテーマに発信活動をしています。

※当ブログに記載の内容は筆者の経験、私見に基づくもので、効果の保証をするものではありません。

「3行日記」のハードルが高い

小学生の頃、学校の宿題として毎日日記を書いていましたが、提出義務のない、自発的に日記を書く、というのはなかなか難しいことです。私の場合は中学生~高校生にかけては小学生の頃の延長で毎日日記を書いていましたが、高校を卒業するとその習慣もなくなっていました。

会社の休職が始まり、どのくらいのタイミングだったか、記憶にないのですが、たしか会社から3行日記を書くように提案されました。

3行日記。いまなら3行しか書けない!書くならあれもこれも、となりますが、休職中の私にとってはたいへんハードルが高く、自分にそんなことができるのか?と不安になりました。

日記のフォーマットとしては、

✓日付、天気

✓その日の体調を10段階で評価(10点が調子が一番良い)

✓その日感じたこと(良いことだったらなお良し)

普段であれば3分あれば十分でしょう。しかし、当時は

朝の私→今日も日記を書こう

昼の私→今日の日記、大丈夫だろうか?

夕方の私→今日の日記、ちゃんと書けるだろうか?

夜の私→夜になった、書かなければ。

夜の私3時間後→24時まわった、今日が終わってしまった、書かなければ。

みたいな感じで、日記を書くプレッシャーが1日中ありました。大げさと思われそうですが、本当にこんな感じでした!

当時書いていた日記はこんな感じ

日記を書き始めて数か月すると、こんな感じで色鉛筆も用いて、様々なことを書くようになりました。

そして詩の原型のようなものを書き始めました。

この頃には、日記を書くプレッシャーは消えていました。テーブルの上にルーズリーフとペンを置いておき、思いついたことを書き留めるようにしていました。

メンタル疾患あるあるかもしれませんが、

漢字が書けない

という悩みがありました。その度に自信を失うような、自分はこのまま漢字が書けなくなってしまうんだろうか、と考えたりもしました。それでも、今の気持ちを書いてみよう、と思いながら気持ちのおもむくまま書いていました。

当時書き留めた言葉たちを集めたものの一部を「ここいまポエム」として音声配信アプリstand.fmで作品提供を始めたのは、もっと後のこと。

まとめ

当時は何も考えずに、ただ書いていました。それが自分の心を軽くしたり、心のなかの整理に役立っていました。

今日はここまでです。最後まで読んでくださりありがとうございます。今日もお疲れさまでした!

 

当時書き溜めたことを作品にしました、一部です。

天井天井を見ていた 真っ白い天井が明るく輝いていく 朝がきたんだ 天井を見ていた 何時かもわからない わからなくていい だって...

 

(笑)笑うしかないよ! じゃなきゃ 泣いちゃう(泣) いまは 泣きたくはないから 笑うのさ!...
カーテンカーテンを開けると 朝がきていた カーテンは わたしにしか 開くことはできない 暗闇は時に ここちよい だけど カーテンを開くと...
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