論理的に、科学的にこれはこう、なことだけ信じる人と
これはこう、がまだイコールでない、だから気のせい、錯覚、みたいに言われることも信じる人といて。
私は割と、気のせい、錯覚、みたいに言われることも信じる。
たとえば、人間関係での話。初対面で(なんかこの人、違和感あるな)という人。付き合ってみたらやっぱりね、ということがあるけど、違和感、というものの正体はその時は言語化できない。
加えて、直感、勘が外れることもある。だから、これはこう、はイコールではない。それでも高確率で直感や勘が当たる事象は信じることにしている。
これはこう、と必ず言えないこと。証明されていないもの、人によって正解が違うことを1+1→2として最近は捉えている。科学的に説明のつくことを1+1=2として。
前置きが長くなったけど、ポエムを書くとき、瞑想を時々してて、自分の脳内と会話したり、音楽を聴いたりする。その時言葉が出て来たり、出てこなかったりする。自分の脳で考えることは作品の出来を下げるんじゃないかと思って、言葉が浮かぶままタイピングしたこともある。(よみのみやこへ)どういう意図で書いたか説明ができない。
こういう作品をブログに投稿したり、スタエフで配信すると、1+1→2を信じない人からしたらナニコレ?ってなるんだと思う。だから、配信することは怖い。
何となくのイメージだけど、
1+1→2
この上下の空間で、言葉を紡いで出している感じ
1+1=2
1+1→2に近いと、精神世界、自分の内面に向かっている感じ、抽象的。
1+1=2に近いと、現実世界、目にみえる世界の具現化、具体的。
上下に書いているけど、優位性はない。1+1→2にちかい感覚で書いている時は、身体がフワフワする感じ、軽くなる感じがする。
1+1=2に近い感覚で書いている時は、過去の記憶を思い返したり、ネットで調べてみたりしながら書いている。その時心や体は当時にタイムスリップして、重くなる時はあるけど、書き終わったら、心身がスッと軽くなっている気がする。
どちらにしても、ことばで心は軽くなる。このことをテーマに書いているけど、ことばで心を重くしてしまうこともできる。それくらい言葉の力って大きいと思うので書くときは怖いけど、自分ができることのひとつは言葉で伝えていくことだと思う。
生々しいことも、フワフワなことも書きたい。この意味は、
1+1=2も、1+1→2も信じているから、自分に制限をかけずに書いていきたい、という意味。今日はそんな話をしてみました。