14時22分。
女はまっすぐ目線の先にある、自動ドアのステッカーを見つめていた。ビジネスホテルのフロントは、繁忙時とそうでない時の差が激しい。チェックアウトのラッシュが過ぎ去り、昼食を摂った後の女の14時台は、毎日睡魔との闘いだ。
予約の電話が入るかもしれないし、飛び込みのお客様の対応もある。そこで女が編み出した方法は、こうしてフロントの先にある自動ドアに貼ってあるステッカーを見つめることだった。
ーあれ?熱があるんと違うか?
女は額に若干の痛みを感じた。手のひらをあててみると、若干熱い気がする。38度くらいあれば早退できるかな、いや37.5度くらいかな?女はいつも、早退することを考えている。
同じく睡魔と戦いながら何かをまっすぐ見つめている隣の同僚に席を外す旨を伝え、女は化粧室へ向かう。個室に入り、ポーチから体温計を取り出す。左の脇に挟み、じっとする。デジタルの数値がグンと上がる。
ーこれは、熱がある。
感染症でもなく、腹痛でもなく、ただ、熱があるだけを目指す。せっかく早退して休むのに、痛いとかしんどいは御免だ。体は軽やかに、ただ熱がある状態でいたい…!
矛盾した、でも女にとっては純粋な願いを込めて、女は脇をぎゅっと締める。
ピピピ…
ー平熱やん。
体温計のデジタル部分は36.4度を示していた。納得できないが、仕方ない。
そう思いながら、女は一度電源をオフにしてから、再びオンにして、右脇に体温計を沈めた。これで平熱ならあきらめよう。
女はじっと体温計を見つめる。期待に応えるように、体温計は32度を表示し、少しずつ数字を変えていく。しかし、数字の上がり具合は到底37度を超えないようなあたりで上昇が鈍化していく。
計測終了の前に女は右脇から体温計を外した。36.2度。
今日は諦めよう。ガツガツ働かなくていいから、穏やかなスタッフキャラを演じて終業まで頑張るか。女は化粧ポーチに体温計を閉まった。
化粧室の、ピカピカに磨かれた鏡。化粧崩れをチェックしながら、無意識に女はニッと笑顔を鏡に向けた。すべてのお客様のお出迎えは、歓迎が伝わる笑顔を絶やさない。鏡を見る時は必ず笑顔をチェックするようになっていた。今日もやってしまった、さっきまで早退する気だったのに。
女はしょうがないなぁと思う。早退したい自分もいるけど、この仕事が私は好きだ。笑顔で働ける自分が好きだ。お疲れのご様子のお客様にお疲れさまでした、と言う自分が好きだ。きっとフロント業務が、自分には天職なんだろうな。鏡にもう一度スマイルを向けたあと、女はハイヒールの音をフロントに向けて歩き始めた。
完
(この物語はフィクションです)