こんにちは、ここいまです。
先日から、体調を崩してしまい、自宅療養をしています。体調が回復し、あと1日すれば仕事復帰、というところまできました。
今日は、うつ体験とは少し内容がずれますが、療養中に感じたことをお話します。
この記事を書いた人 ここいま
バリキャリに憧れる仕事大好き人間だった筆者。仕事で自分を追い詰めた結果、心身の体調不良でドクターストップがかかりました。休職期間は1年以上に及び、大好きな会社を退職することに。5年弱の治療期間を経て寛解。現在は別の仕事をしながら「ことばで心は軽くなる」をテーマに発信活動をしています。
【この記事を読んで欲しい人、メッセージ】休職を迷っている人、休職し始めたばかりの人、休むことに不安や罪悪感のある人に向けて「アラフォーの休職」の何かが参考になればと思います。
※当ブログに記載の内容は筆者の経験、私見に基づくもので、効果の保証をするものではありません。
療養中に聞いた『愛情』
自宅療養は約1週間だったのですが、最初の数日は発熱もありとにかく寝ていました。解熱して少し余裕ができてからは、スマホで昔聞いていた曲を聴いていました。
そのなかに、小柳ゆきさんの『愛情』があります。
この曲のリリースは2000年。初めて聴いた時は「圧倒」されました。年齢がそう変わらないけど大人っぽくてパワフルな彼女が歌うこの曲を何度も聴いて、カラオケで歌っていました。
しばらくこの曲から離れていたのですが、YouTubeで目にし、懐かしいなぁと思って再生したら、彼女の歌声にのせて、大きなタイムカプセルが一気に開封されて思い出が溢れてきたような、そんな感覚になりました。
『愛情』時代、感じていたこと
2000年当時、私は学生をしていて、あと数年したら社会に出るからそれまで好きなことをするぞ!と部活やバイトに明け暮れ、カラオケで夜を明かし、翌朝の講義に出席。安くてペラペラの服を着ててもそれなりにみえるし、なんだか周囲の大人がちやほやしてくれる。遊びも勉強も時間が足りなくて、一睡もしなくてもまぁいっか、というような、本当にいつまでもこの若さが永遠に続くと思っていました。(10代~20代前半ってみんなそうだったんじゃないかな)
でも、時々、頭の片隅に「あと〇年で就職」「あと〇年で就活」というすぐ近くには、もうこのままではいられないというのも自覚はしていて。
だからこそ、今を100%楽しむ!と気合入れて生きていました笑
将来、どうなるか分からないけど、ちゃんとお金稼げて、自分がこれでいいと思えるような仕事をしたい、けど、どんな仕事が自分にはあうんだろう?
99%の「今が楽しい!」と1%の「このままじゃいられないな」をいつも抱えていました。
『愛情』を聴いて号泣した理由
2024年。小柳ゆきさんの『愛情』をカラオケでノリノリで歌っていたカラオケBOXはすでになくなり、24年経って私も学生時代より社会人になってからの人生の方が長くなりました。
あの後、運よくご縁をいただいた企業で15年を過ごし、なんだかうつになり、退職。約2年無職で過ごし。正社員で転職するも体調不良で退職。思った通りの人生を歩めたかと言われれば、そうではないけど、それでも今の毎日も悪くない。
でも…私が号泣した理由は、
『愛情』をノリノリで歌っていたあの頃に私に、
今100%生きてるよ、って言えるか?と自問した時に
ごめんね、できてないわ、って返す私がいたんですよね。
私はいつまで(うつだから)(うつだったから)を言い訳にしてるんだ?
絶対、後悔しないように生きてた『愛情』時代の私をガッカリさせちゃいかんだろう?
そう思ったら、なんかごめん!って泣きながらスマホの画面を見つめてました。
まとめ
人生は思い通りにならないんだなと、たぶん客観的に思えたのは、希望した業界に入るために資格試験の勉強までしていたのに、就職活動をしてみたら20社以上落ちたとき。
あ、私この業界向いてないのかも。って。自分にあきらめた1個目が就職活動でした。
うつになってからも、自分の心身を守るためにあきらめたことも多いのですが、イコール社会人として性格が向いていないとか変に理由をつけてしまった自分がいました。
小柳ゆきさんが異国の崖っぷちで全身で歌っていた『愛情』のMVを見て、なんて美しくてカッコいいんだ!と20年以上ぶりに感動したとともに、
カラオケで歌っていた当時の私が、カッコいい!と言ってくれそうな私を生きていきたいと改めて思いました。
お盆前に、1週間もの自宅療養を強いられたのは、時間のロスだ!と少し損した気持ちになっていましたが、10代後半の抑えきれない生命力が自分にもあったこと、小柳ゆきさんの『愛情』を通して思い出すことができたので、私にとっては素晴らしい時間になったと今は思っています^^
今日はここまでです、最後までよんでくださりありがとうございます!