こんにちは、ここいまです。
今日は最近感じた「痛みに慣れる」ということについてお話します。
この記事を書いた人
ここいま
バリキャリに憧れる仕事大好き人間だった筆者。仕事で自分を追い詰めた結果、心身の体調不良でドクターストップがかかりました。休職期間は1年以上に及び、大好きな会社を退職することに。5年弱の治療期間を経て寛解。現在は別の仕事をしながら「ことばで心は軽くなる」をテーマに発信活動をしています。
「痛いところはないですか?」
最近、腰を痛めて整形外科のリハビリを受けています。そこで初回のリハビリ時に問診があったり、実際に体を動かして痛みがでるか、痛みの程度はどのくらいか、などのヒアリングがありました。
ベッドにあおむけになったり、うつぶせになったり、足をあげたり下げたりするたびに理学療法士の方に「痛いところはないですか?」
と聞かれました。何度も何度も聞かれていると、どこが痛いのか自分でも分からなくなってしまいました。
非日常的な空間にぼーっとしているうちに、自分がここに何をしに来たんだっけ?と我にかえり、理学療法士さんの質問にもう一度集中することに。
「痛みは?」「普通です。」のやり取りを何度か繰り返した後、ハッと気づきました。
ー普通に、、痛いわ。
自分でも痛い部位を動かすと痛みが出ることは分かっていたのですが、痛みに慣れた結果、その部位を動かすと痛いのが当たり前になってしまっていました。
急性的な痛み、慢性化した痛み
そこで、本題なのですが、急性的な痛みは「痛い」と感じるし、目に見えることも多いので自覚できるんですが、(例えばカッターで指を切ると血が出て即痛みを感じる)
ぎっくり腰の後に続く腰痛だとか、
原因不明でいつから出たか分からない膝の痛みとか、
そう言った目に見えない、原因もよく分からないけどずっと続いている慢性的な痛みって、痛みのあることが当たり前になってしまってるなと。
痛みを取り除くことができれば、それ以降は快適に過ごすことができるし、これまで気後れしていたスポーツや遠出の旅行なんかも、不安なく参加できることでしょう。
急性的な痛みはすぐに対応して現状回復させるんだけど、
慢性化した痛みって、いつか、いつかと放置してしまい、
痛みを抱えていることが当たり前になっている。
これって、メンタルにも言えるんじゃないかなって、思います。繰り返し、日常的に聞かされる心の痛くなる言葉とか、
すぐ涙が出たり、恐怖を感じるほどではないけど、日々さらされるストレスとか。
体の痛みも、心の痛みも、当たり前に存在するものじゃないんだよな…と、
一生懸命にヒアリングをしてくださる理学療法士さんの姿を見て、私はそう思ったのです。
痛みに気づくこと
痛みに気づくことって、しんどいなって思います。こうしたら痛い、を確認するのでその瞬間は痛みを感じるので。リハビリでも痛むと分かって確認をしていくので、どこがどう痛むのかその問診の時間は心身ともに繊細になっている感じがします。
これが精神的なこととなると、ことばにしがたいものがあると思います。
それでも、痛みに気づくこと、それを癒すこと、二度と痛みが出ないように対応すること、予防することで、将来は心身が軽くなると思います。
まとめ
今回とても抽象的になってしまいましたが、
整形外科のリハビリの中で、自分自身が痛みに慣れてしまっていたことは驚きでした。生きていく中で、体の痛みだけでなくメンタルも知らず知らずの間に慢性的な痛みを抱えているのかもしれません。
ときどきは自分と向き合って、内省して、自分の痛みを癒すっていうことをしていきたいな、とそう感じた整形外科のリハビリのお話でした。
今日はここまでです。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今日もお疲れさまでした!
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