エッセイ

生物XXに課せられた呪文

「お腹、随分と大きくなったわね」

そう言われたわたしは、穏やかな笑顔でゆっくりと自分のお腹のふくらみを見つめる。ずっしりと、たしかに、そこに命がある。命の重みを感じ、わたしはそのふくらみをなでる。

目から涙が溢れる。

溢れた涙をぬぐって天井を見る。そこは、朝日の差し込むいつもの寝室だった。ベッドから身を起こし、お腹をさすってみた。そこには命などなく、ただまっ平らな「無」の感触があった。

私は20代の早い時期に結婚した。大学を卒業し、社会人として走り出した矢先の結婚。両親含め周囲を、授かり婚だとぬか喜びさせてしまった。

結婚したら、子ども。

1人目ができたら、2人目。

男の子も、女の子も。

色んな人に何年も言われ続けたこの呪文。そう言われ続けるうちに、私もそうしなければいけない気分になってきた。そうしなければ、親を不幸にする。私自身も不幸になる。

世間のレールから外れる、不安。

結婚して何年経っても、一向に子どもを産まない私。そのうちに友人や姉妹も結婚し、子供を産み育てるようになった。

生活や会話、人生のすべてが子ども中心になる、私の周囲。ヘアケアだコスメだカフェだと言っていた友人は「汚れてもいい」という名の戦闘服に身を包み、「子どもが舐めてもいい」ナチュラルメイクをほどこす。随分と変わってしまった友人や妹たち。それがとても幸せそうに見えた。髪を巻いてワンピースを着た私だけ、20代前半のまま時が止まったような感覚だった。

夜、お風呂上りに自分の裸体を見る。大切にしてきた身体。この胸は、この子宮は、この卵巣は、何のためにあるの?ただ毎月生理を迎え、ナプキンをあて続けるために、この胸は、子宮は、卵巣はあるの?見つめるうちに、鏡が湯気と涙でぼやけた。

何年も、何度も言われた。

結婚したら、子ども。

1人目ができたら、2人目。

男の子も、女の子も。

できないの?なら原因はどっちにあるの?あなたが仕事のし過ぎなんじゃないの?お金が全てじゃないわよ…。仕事に髪を振り乱す私に対して、夫婦生活や私の身体機能についてズケズケと聞いてくる人たちが現れ始めた。その人たちは、それまで私とそれほど仲良くしていなかったのに、親友でも聞かない質問をしてくるんだと不思議に思った。

子どもを産まないのは、罪なの?ただ、好きな人と一緒にいる。それだけの人生は大人失格なの?そう言いたかったが、ぐっと堪える。あと何年、このやり取りが続くんだろうなぁ、と投げやりになりながら。

夜、お風呂上りに自分の裸体を見る。結婚した当時より、全身が丸くなり、胸も垂れてきたように感じる。体全体の張りが少しずつ失われていく。幼いころに母や祖母の裸を見て、でも、まさか自分もこうなるとは思いもしなかった。私は、女性としての役割をまだ何も果たせてないのに、身体が魅力を失っていく。怖かった。でも、どうしようもない。私はそういう人生を選んだのだ。こうやって毎晩自分の体を見続けて、自分に問いかけて、涙は出なくなっていた。

胸を、子宮を、卵巣を使わない人生でも、いいんだよ。

平日の昼間、私はスーパーでレジ打ちをする。老若男女様々なお客様を対応する。当然、小さいお子さんを連れた女性も来店する。昔の私は、大嫌いだった。「ママ」が幸せそうに見えた。今は違う。色んな選択があって、目の前にいる女性は「ママ」を選んだ。私は少数派の「ママにならない」選択をしただけ。

でも、同じ「女性」として、何かできることはないかなって思うようになった。労りでも奮闘を認めるでも、何でもいいから「ママ」の心がふっと軽くなるようなお声がけをしたい。疲れていても、私が何か声を掛けることで、少しでも疲れが楽になればいいなと思う。

自己満足かもしれないけど、これはエール。

結婚したら、子ども。

1人目ができたら、2人目。

男の子も、女の子も。

これらの呪文を乗り越え、自分自身で選択をして、命がけで子を産み、育てる。そんな大変で、でも素晴らしい選択をしたかつて「女子」だった「ママ」へのエール。

何年かして子どもたちが手を離れた時、「ママ」は「妻」「女」もしくは「女子」もしかしたら「男」と様々ななりたい形態へ変化する。様々に変化する「生物XX」をその時々により選択する私たち。

どっちでもいい、なんだっていい。私は私らしくあればいい。世間にレールはない。私は一生子どもを産むことはないだろうけど、私の人生を一生懸命に生きる。

結婚したら、子ども。

1人目ができたら、2人目。

男の子も、女の子も。

長く縛られてきたこの呪文から解き放たれた私は、今、とても自由だ。

 

 

 

 

 

 

ABOUT ME
ここいま
ご訪問頂きありがとうございます。音声配信stand.fmの配信者です。モットーは「いま、ここを心地よくいきる」です。