世界中の朝を照らす役目をしている僕は
今年はなぜか元気のないあの娘(こ)に元気を出してほしくて
お天道様にとうとう、お願いをしたんだ
「お天道様、僕は少しの間、例えばこの夏休みの間だけでもいいから、あの娘の様子をそばで見ていたいのです。なんとかこの僕を、地上におろしてもらえませんか?」
お天道様が瞬きをすると、僕は目の前がとても眩しくて、目を思わず閉じた。
目の前が白くなくなったので、僕はそっと目を開けた。土からの湿気がもわぁっとして、草の匂いが充満するひまわり畑の中に、僕は立っていた。
(やったぁ!これで空からじゃなくて、あの娘の様子も見ることができる。そばにいてあげられるぞ。)
辺りを見回すと、僕の仲間がたくさんいて、それぞれに応援したい人、元気づけたい人に向かって手を伸ばしたり、笑顔で見守っていた。だから、僕も空の上から照らしていたあの娘に向かって、笑顔を向けてみたんだ。
ところがどうだい、相変わらずその娘は、道路を見つめて歩いている。僕のことなんて見向きもしない。そのことを仲間に相談すると、
「あぁ、そんなもんさ。元気な人ほど俺たちを見て微笑んでくれるけれども、お目当ての人はどこか別の方を一生懸命見ている。何を見たって、何を感じたって、今日はあっという間に過ぎるのになぁ。」
そう言って、花びらを1枚、ぽたっと落とした。
僕は、何とかしてあの娘がこちらを見て、一瞬でも笑顔になってくれる方法を考えた。あの娘は決まった時間にこの道を通る。この暑い夏休みの間中、勉強をしに図書館へ通っているようだ。あの娘が、セーラー服を着るようになって3回目の夏だ。鞄を重そうに持っているなぁと思っていたが、日に日に荷物は増え、最近では黒い鞄の他に手提げ袋を持っていて、紐がちぎれそうなほど、何かを入れている。
去年は、友達と自転車に乗って楽しそうにプールへ出かけたり、妹たちと買いものにいったりしていたが、今年はどんなに暑くてもセーラー服を着て重い荷物を持って、図書館へ出かけている。僕はあんまり詳しくないのだけど、勉強というものはそんなに大変なのだろうか?僕たちの笑顔を見る暇がないほどに。
人間はたいへんだ。
今年の夏はとにかく暑くて、笑顔でいつづけるのもへこたれそうになるが、お天道様がせっかく僕の願いを叶えてくれたんだ!僕はこの場所で笑顔でいつづけようと決めた。僕は空にいて、お天道様のお手伝いをしていた時は、自由に行きたい場所へ行くことができた。しかし今は、足が土に縛りつけられて、どこにも行くことができない。
笑うしかない!僕は手をいっぱいに広げて、笑顔でいつづけた。
蝉が一生懸命に鳴いている。僕も一生懸命に、笑った。
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最近、どうも、顔の周りからぽたぽたと花びらが落ちる。これでは、あの娘に気づいてもらえないのではないか?心配になるが、自分ではどうしようもない。
蝉がうるさいほどに鳴いていた時には、両手もいっぱいに広げることができていたが、なんだか腕が固くなったし、手のひらも思うように動かせない。あの娘は相変わらずセーラー服を着て、たくさんの荷物を両手に持ち、時には背中に抱えて、道路を見つめて歩いている。先輩に相談しようと思い、声を掛けても返事がない。うすうす、気づいてはいた。
僕は、ずっとここにいることはできないのだな。
夏の間だけ。とはいえ、夏という時間はとても長いものだと思っていた。だって毎日決まったように朝がきて、暑くて、足元はもわぁっとしていて、先輩は僕の両手にかぶさるように手を広げてくるし、蝉は毎日うるさいし。でも、いつからか、少しずつだけど、先輩の手が僕にかぶさらなくなって、蝉の鳴き声は遠くなって、僕の体調にも変化が起こってきて。
僕は、あの娘になにもできていないのになぁ。
ぽたぽたと花びらが零れ落ちる。僕の足元は黄色い花びらで埋め尽くされた。
そろそろ、あの娘が帰宅する時間だ。僕は少し背筋を伸ばして、あの娘の帰りを待った。今日は午後から遠くの空でゴロゴロと音がしていたのだが、その雲が僕らの上にやってきた。待ってくれ、雨が降ってしまったら、あの娘は濡れてしまう。大事に抱えている鞄や手提げ袋の中身が濡れてしまう。お願いだから、あの娘が家に帰るまで、雨が降りませんように。お天道様、力を貸してください…。僕の祈りもむなしく、あたりが薄暗くなった途端に、大粒の雨が空から落ちて来た。僕は伸ばしていた手を引っ込め、目を閉じた。首に雨が当たって痛い。足元の黄色い花びらがぐじゅぐじゅに溶けて、土の茶色と混ざっていった。
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今日で夏休みも最終日。受験勉強も随分とはかどった。図書館の閉館時間が近づいたので、私は自宅に帰ろうと、荷物をまとめて図書館のロビーに向かった。今日は雨が降るかなと、折りたたみ傘を持ってきていたが、それでは間に合わないくらいの大雨が降っていた。ロビーに近づくにつれ、雨の音がうるさくなっていく。私は徒歩で帰るのを諦め、自宅にいる母に迎えに来てもらえないかと電話をかけた。
夏休みの間毎日歩いて通った道を、最終日も歩いて帰りたかったが、大雨では仕方ない。母の運転する軽自動車から、私は雨に濡れる街並みを眺めていた。街並み、といっても一瞬で消えて、のどかな田園風景が広がる。幹線道路を左折し、車が離合するのも難しい細い道に入ると、田んぼや畑がとても近くなって湿度が高くなる気がする。夏休みが始まった時には、稲の苗は短かったのにいつの間にか田んぼの土が見えないくらいに伸びている。
「あれ、こんなところにひまわり畑ってあったっけ?」
私は母に問いかけた。田んぼが続くそのなかに、1か所だけ不自然にひまわりが咲く場所があった。
「あぁ、そこはね、田んぼを持ってた人が年をとってもう稲を作れんからって、田んぼは辞めてからね…その代わりにひまわりを植えちゃったんよ。あんた、毎日ここの前通りよったのに気づかんかったかね?」
「…たしかに、ここの前を通る時は考え事しよって、周りなんか見よらんかったかもしれん…あ、LINEが来たわ」
私はスマホに目を落とした。
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9月1日。ランドセルを背負った子どもたちが、元気に登校していく。
僕は昨日の大雨で酷く首を痛めてしまったようで、まっすぐ前を見ることができない。今ここにいる場所も、僕が来た当時は先輩方の声でにぎやかだったが、今はもう、赤とんぼの羽音が聞こえそうなくらいに静かだ。昨日、結局あの娘の姿を見ることはできなかったが、無事に家に帰れただろうか?濡れたりはしなかっただろうか?それだけが気がかりだ。
夏の初めに、お天道様に僕は
「例えばこの夏休みの間だけでもいいから、あの娘の様子をそばで見ていたいのです。なんとかこの僕を、地上におろしてもらえませんか?」
そうお願いして、僕の願いは叶った。
僕は、何ができただろうか?
あの娘の笑顔を見ることはできなかったが、僕は自分が笑顔でいられたので、幸せだったように思う。空の上からではなく、より近いところであの娘を見守ることができて、よかった。あの娘を元気にしたい、なんて思っていたけど、幸せにしてもらったのは僕の方だな。
「ありがとう…」
僕はそっと目を閉じた。
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夏の終わりのある日のことです。
ひまわり畑を回遊していた赤とんぼが、水を飲みに田んぼのそばにある小川に行ったとき。一輪のひまわりがぽと、っと土の上に落ちました。
昨日から曇り空が続いていたのに、なぜかその一瞬、曇り空が切れて静かになったひまわり畑に一筋の木漏れ日が差し込みました。水を飲んでいた赤とんぼも、セーラー服を着たあの娘も気づかれることなく、一輪のひまわりはひまわりとしての役目を終えて、空に還っていきました。
ヒグラシがじんわりと鳴くなんでもない1日のお話です。
終