ー13時30分。
ただいまぁと自宅のドアを開ける。明るいうちに自宅に帰るのは久しぶりだ。なんだかとっても違和感がある。それ以上に悪寒がする。定時まで働くことがイメージできないくらい、体調が良くなかった。
昼食をとれば、少しマシになるかもしれないと思ったが全く良くならなかった。午後の始業開始とともに、女は仕事を早退した。
会社から自宅への道、いつも以上に遠く感じたなぁと膨張した頭の中で考える。今一番たどり着きたいのは暖かい布団の中だが、服を着替えたり、手洗いうがいをしたり、まだまだやることはたくさんある。朦朧としながら階段を上がる。ふと、階段の隅に髪の毛が数本落ちているのが見えた。
まただ、と女は思った。週に2、3回階段の掃除をしているのでほこりはそんなにたまらない。なのに、なぜか女自身の髪の毛ばかりが階段の隅にたまる。ホコリやゴミを掃除するというよりも、女自身の髪の毛を掃除する、そのためにモップがけをしている。
女は、3倍ぐらいの厚みになった気がする重いまぶたをしばたかせた。
昨日掃除したばかりなのに、また私の髪の毛が落ちている。今日はさすがに掃除はできない。あーもう、どうして私の髪の毛ってこんなに落ちやすいんだろう?なんだかとってもイライラしちゃう。髪の毛を下ろしておきたいのに、階段に髪の毛が落ちるのが嫌で最近はいつも結んでいる。階段だってそんなに埃はたまらないのに、髪の毛が落ちているせいで1回に5分、1週間に15分、1ヶ月で60分。私は階段を掃除している。
1ヶ月で60分!!!女は計算を間違えたかと動かない頭を回転させようとした。
そんなにも長い時間、私は自分の髪の毛を拾うために掃除しているのか…。1日8時間仕事をして、帰宅をすれば家事をして、食事をとったりお風呂に入ったり、毎日本当に忙しい。私にもっと時間があるならば、読みたい本もあるし見たい映画もある。
なのに私は、自分の意志で髪の毛を伸ばし、自分の意志に反して1ヶ月に1時間も髪の毛を拾う作業をしている。とってもバカバカしい、本当にバカバカしい。だからと言って髪の毛をベリーショートにしたらいいかと言うと、なんだかそれは違う気がする。
なぜ私は髪を伸ばしているんだろう?なぜ私は1ヶ月に1時間も髪の毛を拾っているんだろう?バカバカしいわ…。
今日は多分この長い髪の毛をシャンプーしないだろう。体調が思わしくないのに、この長い髪の毛をシャンプーするなんてそんな気にとてもならない。きっと明日も明後日も、私はこの長い髪の毛をシャンプーしない。絶対に臭くなるしギトギトするし、階段や廊下に髪の毛は落ちまくりだろう。洗面所で手を洗いながら目の前の鏡を女は見つめた。
すごくバカバカしい、合理的でない、切ればいい臭い髪の毛をこれからも私は伸ばしていく。1ヶ月に1時間、1年間で12時間、2年もすれば24時間。私は階段に落ちた自分の髪を拾うだろう。
うまく言葉に説明できないけれど、この無駄で、非合理的で、バカバカしいと自分でも思う「髪の毛を伸ばす」ということは自分の心の拠り所、自分の心の余裕。なんかそんな気がするんだ。
女は今朝来たパジャマに身を包みベッドにダイブした。まだ臭くないけれど、多分明け方には臭くなるであろうこの髪の毛に顔をくるまれて今日は寝よう。女は3倍ぐらいに厚みを増したように感じるまぶたをそっと閉じた。
ばかばかしいこの人生、髪の毛を掃除する人生。まあまあ悪くない。悪くないのかよくないのかわからない。今日はなぜこんなことを考えたのかよくわからない。体調不良だからそんなもんだろうな…女はすぐに深い睡眠に吸い込まれていった。
完
(この物語はフィクションです。)