#30分で書くチャレンジ

20231027/かみに見放された男

金曜日の17時42分。

男は焦っていた。18時の終業に仕事が終わりそうにない。

零細企業のIT環境は脆弱で、Excelを2、3開けた状態で知恵袋に質問したら、パソコンが固まってしまった。上書きができない。あぁ、何でこんな時にちょいちょい上書きしていなかったんだろう、俺の馬鹿。

いったん、落ち着こうと男は紙を手にして席を立った。メモ用紙をシュレッダーにかけて、ついでにお手洗いにも行こう。昼に食べた次郎系ラーメンが、さざ波のように押し寄せてきた。まださざ波だけど、ビッグウェーブになったら、たまらない。

経理部兼総務部の共用シュレッダーは部屋の隅にある。シュレッダーの最も近い席には新卒の女性社員が座っている。ああ、彼女も必死の形相だ。18時に間に合わないのかな。

俺よりも仕事が少ないんだから、仕事が間に合わないとか、そんなことはないだろう。こういうことを言うとパワハラと言われそうだから、心のなかに留めておくけれど。

「失礼、」

そう言って男はシュレッダーをかけ始めた。金曜日の夕方、全員が集中と焦りの中で仕事をしている。静寂の中にシュレッダーの音が余計にうるさく響く。

「…え、いっぱい?いや、いけるだろう、あと5枚くらい」

そう言って男は手にしていた最後の5枚をねじ込む。シュレッダーの中の箱は裁断された紙くずでいっぱいだが、無理に押し込んだ。鈍い音が部屋中に響く。

「うそだろ、あと5枚くらい…」「男さん、紙つまり起こしちゃうんで、紙くず捨ててもらっていいですか。」

新入社員の女が振り向きもせずに男に告げる。

「シュレッダーに近い席のせいで、いつも私がごみ処理してるんですよ。今日私、仕事がヤバいんで。」「…ああ、しょうがないね」「しょうがないじゃなくて、みんなのシュレッダーなんで、たまにはやってもらっていいですか。」

「ゴミ袋は…」「給湯室の、コップとかおいてる食器棚の下です。黄色を使ってください。90ℓですよ」

紙くずの粉が舞わないように、男は慣れた手つきでシュレッダーから紙ごみの入ったゴミ袋を取り出した。

薄暗くなった廊下を歩く。この会社に就職して15年、俺は係長をやっている。結構、仕事に人生を捧げて来た。そんな俺は今、シュレッダーのゴミを捨てている。偉くなれば、こういう雑務ってやらなくていいと思ってたんだけどな…。

「あ、トイレにもいっとこう」

ゴミを捨てての帰り道、男はトイレのドアを開ける。時刻は17時48分。もう残業は確定だが、とりあえず今はこのさざ波を何とかしたい。さざ波がおさまれば、少し気持ちに余裕が出るかも…。今日は、スーパーじゃなくコンビニに行こう。そう決めると、少しだけ気持ちが楽になった。

よいしょ、と便座に腰掛ける。零細企業につきこのトイレも従業員持ち回りで掃除している。係長は掃除担当から外されるので、ここ数年は掃除していない。年季の入ったトイレだが、清潔に磨かれている。これは当たり前じゃないんだよな、と男は思う。仕事とはいえ、みんなが掃除してくれるんだ、きれいに使わせていただきますー。

ー紙がないー

ここ数年、掃除していないので、トイレットペーパーのストックがどこにあるか分からない。男は唇をかんだ。まだ、さざ波だ。いったんズボンを上げ、前と後ろを確認する。ありそうで、ない。嘘だろ、1つくらいは予備を置いとけよ。俺だったらそうする。

男はいったんトイレを出て、掃除道具入れに向かう。道具入れになかったら、怒っちゃうかもしれない。いやそれはパワハラだ、こんなことを考えてる場合じゃない!廊下をよたよたを歩いていると、新入社員の女が向こうから歩いてくる。

「男さん、黄色のゴミ袋分かりました?」「それは大丈夫、紙は」「紙?A4ならいつものとこでA3は倉庫で、」「トイレットの方」「トイレット?ああ!トイレの紙。それは、掃除道具入れですよ」「だよね、そうだよね。ありがとう。」

さざ波の押し寄せる頻度が高くなってきた。男は質問するこの10秒は要らなかったと後悔する。でも、コミュニケーションは大切だと課長が言ってた。でも、今必要だっただろうか?もう何を考えているのか、考えるべきなのか分からなくなってきた。

ー集中すべきは、掃除道具入れに向かい、最短距離かつ最短時間でトイレに行くことー

男は掃除道具入れを勢い良く開け、トイレットペーパーを1つ持ち、少し考えて3つ手にした。予備の予備を置いておこう。用意周到、これが急いでいる時でも余裕を見せる大人、俺。男性用トイレを、男は勢いよく開ける。

「嘘だろ、」一つしかない大の方は先客が入ってしまっていた。

「あ、男さん?良かったー。紙がないんすよ、ここ。昼の次郎系が今になってキましたよー、男さん、申し訳ないんですが、紙持ってきてもらえたりしますか?」昼に次郎系ラーメンを一緒に食べた後輩の声がした。

「あるよ!」

男は歯を食いしばって、ドアの上からトイレットペーパーを投げ入れた。「俺もキてるんだよ、はやくしろよ」「男さん、急かさないでくださいよー、できたら外で待ってもらっていいですか?人がいると、できないタイプなんで」

「…」

男は廊下に出た。時刻は17時55分。できれば残業は2時間以内に終わらせたい。固まったパソコンは直っただろうか?とりあえず上書きしたい。あぁ、でもその前にシュレッダーに黄色のゴミ袋をセットしなきゃ。黄色のゴミ袋、どこにあるって言ってたっけ、倉庫かな…。

係長って、そんな偉くないんだなぁ、もっと頑張ろう。男はシャツの手首のボタンを外して伸びをした。さざ波が少しおさまったので、今夜のコンビニ豪遊を想像してみた。男は少しだけ優雅な気持ちになった。

(この物語はフィクションです)

 

 

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