#30分で書くチャレンジ

20231026/痰壺

13時42分、よくあるコンビニエンスストアの、よくある従業員休憩室。女は持参した弁当を食べ、14時からの勤務に向けて、歯を磨く。

よくある休憩室の、よくある風景。長机にパイプ椅子。どこのメーカーか分からないテレビ。有線放送からは同じ曲が2時間おきに流れる。

よくある風景。

よくある休憩室には、段ボールで作られたゴミ箱が置いてある。誰が作ったのか分からないけど、上手にできており、開閉する蓋がついており、汚いゴミが見えないようになっている。さらに、段ボールをカットしてギザギザになった部分は丁寧に、ガムテープが貼られ、見た目もきれいに施されている。

女は歯を磨きながら「もっとすることがあるだろう」と思う。この段ボールゴミ箱を作るのに1時間かかったとして、その人の時給が1000円なら、1000円以下のゴミ箱を買えば済む話なのだ。こういうところだよな、と女は仕事ができる風の悪態をつく。

わりと、仕事ができないのに、仕事ができる風を装う、イタい方の。

女は歯を磨いた後、洗面台に向かう。よくある休憩室の洗面台は水関係なら何でも使用する。こうして歯を磨いたかと思えばその前に、汚れた食器をここで洗っている。衛生的であるよりも、効率を優先する。それが日本の片隅にある、コンビニの休憩室。女は口をゆすごうとして顔をしかめた。

「くっさ!」

口に含んだ水を吐きだそうとして排水口に顔を近づけたところ、女の鼻を微妙な悪臭が襲う。とてつもなく臭くはないけど、自宅の排水口が子の匂いなら、すごく嫌な感じ。恐る恐る黒い菊割れ蓋を手に持って、排水口の中を見る。申し訳程度に水切りネットがかけられているが、何か小さい食べ物のゴミがついている。

「嫌な感じ…」

おそらく、他の従業員の食べたカップラーメンの食べきれなかった具材や、歯を磨いた時の食べかすだ。女は息を止めて水切りネットを交換した。他の従業員の痰や唾液もついているだろうか、ああ、想像しなきゃよかった。きれいなゴミ箱作るくらいなら、この排水口を綺麗にしてくれよ。こんなの、あいつとあいつの痰じゃん、これは排水口じゃなく、あいつらの痰壺だ。

13時49分、休憩時間になぜ、あいつらの痰壺を掃除してやるんだろう、この私が。女は自分でも信じられないくらいイライラした。水がしたたる水切りネットを、段ボール製のゴミ箱に投げつけたら、遠心力なのか、水が数滴手にくっついてきた。

「うわあ」

女は慌てて手を洗う。無臭になった洗面台は、数日くらいは新しくなった気がする。女はおもむろに洗面台下の扉を開け、クレンザーとスポンジを出し、シンクを磨く。手に水を溜めてさぁっとシンクに掛けると、ツルっと水が流れる。ピカピカになったシンクは数か月くらい新しくなった気がした。

女は改めて歯磨き後の口をゆすいでみる。クレンザーのレモンの香りが鼻を刺激する。あいつら、次の休憩の時、少しは気持ちよく過ごせるかな。今日はどのカップラーメンを食べるんだろう、ゴマたっぷりのラーメンをこの排水口に流したら文句言ってやろう。

そう考えたらなぜか頬が緩む。女は制服を羽織った。アイロンのかかった制服の匂いを嗅ぎながら今日の午後、なにか少しだけ良いことが起こりそうな気がするなと、女は感じた。

(この物語はフィクションです。)

ABOUT ME
ここいま
ご訪問頂きありがとうございます。音声配信stand.fmの配信者です。モットーは「いま、ここを心地よくいきる」です。